2010年6月 3日 11:34
戦後・・苦難の時代 ~今こそ伝えたい 津田の歴史②~
戦後~苦難(昭和20年~24年)
軍需部品の生産で多忙を極めた津田鉄工所(現・津田工業)は、昭和20年に終戦を迎え、戦後のインフレ、食糧難をやっとの思いで切り抜けました。
しかし、この頃は仕事が激減していたため、経営方針を見直し、自動車部品に的を絞ることになりました。

↑会社設立時に事務所前で初代役員らで記念撮影
(初代社長津田豊輔は左から2人目)
人員整理、そして給料遅配
◇自動車部品製造業として発展してきましたが、戦後は自動車の売れが悪く、人員縮小を余儀なくされました。多くの人員が整理され、同時に刈谷国鉄駅前工場が休業状態に入りました。その後も被整理者が1日も早く復帰できるよう努力したものの思うように業績が上がらず、約5年にわたり、給料遅配という事態に追い込まれました。
従業員数:70名(S17)→250名(S20)→120名(S24)

戦後はどんな生活?
過去の資料のなかには、昔の思い出を語るOB/OGまたは、そのご家族の方のお話が残っています。
戦中・戦後の生活が分かる言葉をいくつか挙げたいと思います。
◇戦時中は、昼になるとB29がやってきて、防空壕に逃げ込んだ記憶があります。
終戦時の玉音放送は、現在の西門(刈谷工場)前にあった広場に集まり、皆で聞きました。戦争から帰ってきたら受入のところで万歳をしてもらった思い出があります。
◇S24年4月に入社しましたが、会社の不景気で郷里に帰りました。半年後に復職が決まり、以来お世話になりました。
その頃は終戦のどん底でいたるところに浮浪者がいました。自分は会社の食事でサツマイモ2個もらっていましたが、常に空腹の毎日でした。(故 袴田さん妻より)
さて、そんなこんなで、苦難の時代をどうやって切り抜けていくか、今後が楽しみですね。
次回もよろしくお願いします~^^/
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